都会の中で季節探し
職場の近くのマンションの敷地内に、大きな木が植えられています。
そこを通るたび、木と空を見上げて状態を確認します。
すれ違う人々がスマホを見ながら歩くのを見て、季節の移ろいを感じることなく電子画面ばかり眺めるのはもったいないなあと思ったりします。
樹木一本にしても、季節や見るときによって少しずつ表情が変わります。
葉の変化、木と空模様とのコントラストの変化を見つけるのも楽しいものです。
360度山に囲まれた土地で育った私は、移ろう季節を感じることが習慣のようなもの。
もちろん強要はできませんが、もう少し周りに目を向けてみてもいいのになあ、なんて思ってしまいます。
こどもは遊び上手
ある日、職場近くの大きな木の横を通ると、子供たちが地面に落ちている葉っぱを使って遊んでいました。
葉っぱを舞わせて、降ってきた葉っぱを誰がキャッチできるか、といった遊びのようで、きゃっきゃと元気にはしゃいでいました。
葉っぱを舞わせて楽しそうにしている姿を見て、私も嬉しい気持ちになりました。
田舎育ちの私にとっては植物で遊ぶなんて日常茶飯事でしたが、東京の子も植物を使って遊ぶんだなあと、なんだか親近感。
幼い私の遊び方
両親が共働きだった小学生の頃の私は、友達と遊ぶ予定が無い日は、近所の遊具もない河川敷でふらふら遊んでいました。
桜並木があって、鯉のいる池があって、小さな水路があって、野草がたくさん生えている。
ただそれだけ。
春は桜を眺めたりシロツメクサで冠を作る。
夏は探検と称して木の棒を持って草木が生い茂っている場所を進み、蛇に遭遇してスリルを味わう。
秋は色づく葉っぱが綺麗だなあと、気に入った枯葉片手にベンチに座ってぼんやり眺める。
冬は凍った池に恐る恐る足を載せてみたりしてスケートを試みる。
誰に教わったのか、その辺に生えた草花をもいで蜜を吸ったり、ヨモギをたくさん摘んで持ち帰りお団子を作ったり。
目の前にある自然に心を躍らせ、日が暮れる頃には家に自然と足を向ける。
振り返ってみると、自分の周りにあったものと上手く関わっていたなと思います。
大人になった私より「今」という時間を満喫できた、時間の過ごし方が上手だった幼い頃の私。
はて、そんな私はどこに行ってしまったのか。
自分自身の思い出なのに、どこか他人事のように現実味がないのが不思議です。
あの頃のような純粋な気持ちを今に少し加えたら、私はどうなるものか。
そんなことを考えた12月のある日。
それでは良い一日をお過ごしくださいませ。
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